一人の母の声が政治を動かした「ヘルプカード」
2009年春、街頭演説を行う伊藤こういちに一人の婦人が声をかけました。
「私には、自閉症の障がいがある子どもがいます。この子どもが、やがて一人で社会参加できるようになったときに、災害や事故に遭遇しても、周囲の人が支援の手を差し延べてくれるような東京都をつくってほしい…」と訴えました。手には、その母たちが手作りで作製した「ヘルプカード」が。そこには、家族の連絡先や自閉症への支援方法などが詳細に書かれていました。
伊藤こういちは、児童センター指導員時代に携わった障がい児育成の経験からその母親が望んでいることをすぐに理解し、早速、都内の状況を調査しました。しかし、「ヘルプカード」のような取り組みはほとんどなく、一部の区市や団体によるものはあるが取り組みが限られていました。障がいは、身体、知的、精神、発達障がい、内部障がいなど、多種多様であり、社会の中で困難に直面した時に、このままでは、助けを求めても誰も気づいてくれない……。支援を必要としている人に、行政の手が届いていないのが実態でした。
伊藤こういちは、都議会本会議などで何度も、都内共通のデザインが表紙となり、中に必要な事項を書き込める「ヘルプカード」の必要性と、多くの都民へ「ヘルプカード」の周知を訴えました。
しかし、都の返答は厳しいものでした。
2011年3月11日、東日本大震災が発生。首都圏では約350万人の帰宅困難者が発生しました。その中に、障がい者など支援を必要としていた人が、周囲に気づいてもらえず、大変な思いをした人が少なくありませんでした。中には、帰路とかけ離れた地域で保護された人もいました。伊藤こういちは、この現実を都に強く訴えました!
そして、挑戦から3年。ついに、都のカベを破りました!
東京都は2012年10月、都内共通の「ヘルプカード」について、標準様式を定めたガイドラインを区市町村向けに策定。併せて都は、2012年度から2014年度まで、標準様式を活用してカードを作製する区市町村に対し、年間250万円を上限として経費を全額補助することを決定しました。
一人の母親の願いから、多くの障がい者への災害時等の支援策が前進することになりました。